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『マイケルとライアンの友情』

2010/04/16 10:44
昨日UPしたライアン君についてですが、動画を見れない方がいらっしゃるのでその方の要望にお答えさせていただき内容をUPします。

『Gone Too Soon』この曲はマイケルがライアン・ホワイト、彼に捧げた曲です。
da7fa276fc528c0e.jpgライアンは生後6日目に血友病であることがわかりました。
その後11歳の時、血友病患者が使う血液製剤でHIV感染、エイズを発症してしまいます。
193b0240d6b51196.jpg
ライアンはマイケルの大ファンで、両親に
『マイケルに会いたい』
といいます。
マイケルはそれを聞き、ライアン家族を自宅へ招待しました。

ライアンが発症した1980年代にはエイズは未知の病でした。

同じ学校に通う生徒は皆エイズに感染すると心配した親たちは署名運動を起こしライアンが学校に来ることを拒否しました。
家計を助ける為に新聞配達をしていたライアンでしたが「新聞からエイズが移る」などといわれ皆次々と新聞購読をやめてしまいます。

ライアンは多くの人達の偏見の対象となり、ついには自分の住んでいた街からも出て行かなければならなくなりました・・・。

手が触れただけでも感染すると思われていた未知の病、全くの無知な人達からいわれないひどい差別を受けていたライアンをマイケルは誠心誠意支え続けました。

マイケルはライアンに
『君の夢は何?君にも将来があって大きな夢を抱けるよ。』
と勇気つけました。
ライアンは
『車を運転したい』
といいました。
マイケルは
『そうだね、必ず君も車を運転できるよ。』
後日、真っ赤な車をライアンにプレゼントしました。

ライアンはマイケルをはじめとする各界の著名人たちとの交流をえてエイズの正しい認識を広める為に多大な貢献をしました。
あらゆる所で差別や暴力を受け、時には殺人予告を受けるようなひどい目にもあいました。
それでも病気を理解してもらう為に必要ならばとテレビに出演、エイズ教育の活動をしました。

それを見ていた当時のアメリカ大統領、レーガンがエイズに理解を得る為の組織を国として作ろうと立ち上がり、ライアンが議会に招かれスピーチしました。

マイケルとの友情を支えに活動してきたライアンでしたが、高校卒業目前の17歳の時危篤状態に陥ります。
『最後に1度だけマイケルに会いたい』
それを聞いたマイケルはあらゆるスケジュールをキャンセルしてライアンのもとに駆けつけました。

マイケルは
『君は車を運転したいと言っていた夢を実現したの?』
そう聞くとライアンは
『そうだね、僕はその夢を実現できなかった・・。
けれどこうした差別を本当は、この世から全ての差別を消す、そうした人になりたかった。
でも、時間が足りなかった・・。』
そして・・最後の別れをを迎えました・・。

その翌日、ライアンが1番好きだった『Man In The Mirror』を聴きながら息を引き取ったと言われています・・。

マイケルは
『差別こそ人間の最も酷い行為だ。
知識を得れば、共に生きていくことが出来るのに・・・』
といつも口にしていました。

ライアンの死後、マイケルは各地を回りエイズに対する知識を、HIVに対する知識を持って欲しいと訴えました。
その事が議会を動かし、“ライアン・ホワイト・アクト”という、エイズ感染者の治療費などをケアする為の法案が出来ました。

マイケルはインタビューで

『自分の人気、たくさん与えられる知名度は、社会的使命の証でもある。
自分はたくさんの大きな影響力を持っている。
それをどう使うか試され求められている。
だから僕はそれを世界中で苦しんでいる子供たちのために正しく使いたい。
その影響力を持って生きることが僕の人生だ』

といいました。

ライアンの亡くなった翌年『Gone Too Soon』が発表されました。

ライアンの墓石には
『GONNA MAKE A DIFFERENT,
GONNA MAKE IT RIGHT』
(変えよう、正しい方向に)
FRIENDS FOREVER
MICHAEL JACKSON
とかかれています。

ライアンが亡くなって3年後、第52回アメリカ大統領祝賀会に招かれたマイケルのスピーチです。

『次期大統領、就任式典にお招きいただきありがとうございます。
この非常に公式な式典の場ですが、個人的な事を話す時間をとらせて頂きたいのです。
もうこの世にはいない、僕の親友の1人についてです。
彼の名はライアン・ホワイトです。
(ライアンの名前を言った瞬間のマイケルの表情はすごく辛そうでした・・)
彼は11歳の時にAIDSと診断された血友病患者でした。
彼は18歳でなくなりました。
多くの若者が人生の素晴らしい可能性を探索し始めるまさにその時に、短い人生を終えました。
僕の友人ライアンはとても輝いていて、とても勇敢で、そしてとても普通の青年でした。
決して命に関わる病気の象徴や代弁者になりたくはなかったのです。
ここ何年かの間、他愛のないこと、幸せな時間や苦しい時間をライアンと分かち合ってきました。
彼の短くも波乱万丈な旅の終わりにも、彼と共に過ごしました。
ライアンは亡くなってしまいました。
最愛の人をAIDSで亡くした方々のように、僕も絶え間なくとても寂しく思っています。
彼は亡くなりましたが、彼の人生が死を超えて意味のあるものになって欲しいと思っています。
クリントン次期大統領、これは私の望みです。
私の友人を奪った、そしてたくさんの前途有望な命、これからという時に終わらせたこの恐ろしい病気を廃絶する為に必要な援助をあなたの政権が約束してくれる事を願います。
ライアン、この歌を君に贈ります』

そしてマイケルは歌いました。

その後クリントン政権はHIV,AIDS対策を重要視、研究プログラム予算を150%アップしてホワイトハウスにもAIDS対策チームを立ち上げました。
ライアンが亡くなって20年経った現在でも“ライアン・ホワイト・アクト”の法案は生きています。
この法案は時限法案でしたがライアンの意志が受け継がれ今日まで延長されてきたのです。
去年10月に、オバマ大統領もライアン法案の延長にサインしました。



壮絶な日々を過ごし、多くの人に傷つけられていたライアンとマイケルは心の底から通じるものがあったのでしょう。
ライアンの人生を『旅』といったマイケルの言葉に胸が詰まりました。
023.jpg
マイケルはどのようなスピーチやインタビューでも原稿を作らないそうです。
その時々の言葉全てがマイケルのその時の心の言葉。
ひとの為に生きてきたマイケル。
マイケルと同じ時を過ごせた、同じ時に生きていられた事に感謝します・・。


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