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『THIS IS NOT IT?マイケルの友人達の証言1』

2010/07/15 22:47
これはマイケルの凄く身近に長年居た友人のインタビューです。

私的にはこのインタビューの内容はマイケルがもういないということが現実的で・・・哀しいものです。
ですがこれも真実なのか・・・。
それでも知っておこうと思います。

これが現実でもそうでなくてもかまわないと思う方は見てください。

インタビューはマイケルの長年のヘアメイク担当カレン・フェイ、衣装担当マイケル・ブッシュ等です。
彼らはTHIS IS NOT ITを立ち上げたFAN達と連絡を取り合い何とかマイケルを救いたいと思っていた友人です。




Cynthia:カレン、マイケルの家族があなたを呼んでマイケルの葬儀のためにマイケルのメイクをお願いされたのですね?

Karen:はい、そうです。私はその役に相応しいと思いました。

Cynthia:どんな気分でしたか?

Karen:私はその仕事を引き受けることは光栄におもいました。私はマイケルがどのように(メイクを)されたいのを知っていたので、そのようにしました。彼の家族のために…彼の子供達のために。

Cynthia:そしてあなた達がマイケルに洋服を着せたのですね?

M.Bush:そうです、マイケルの家族から連絡があり、頼まれました。マイケルと長年一緒に働いた歴史もあり、マイケルが一番自分を必要としているときは今なのだろう、と思いました。

Cynthia:何を選んだのですか?

M.Bush:マイケルの家族にとってはそれはプライベートなことなのであまり公表できないのですが、言えることは、マイケルが好きな要素を全てとりいれたと言えるでしょう。

Cynthia:やはり手袋をつけているのですか?

M.Bush:いえ、つけていません。マイケルにとってあの手袋はビリージーンを象徴しています。あれは曲のなかの彼のキャラクターです。彼本人とは違います。

M.Bush:カレンと僕達がフォレストローンで行ったことによって、マイケルとの永遠の絆が築かれたと思います。9時間ものあいだ一緒にいたのです。

Cynthia:あなたはまさかあなたがマイケルに最期に洋服を着せる役を行うことになるなんて思っていなかったのでしょう?

M.Bush:思っていませんでした。僕はマイケルの最期の衣装を誰かに手渡してそれで任務は終了するのだと思っていました。

Karen:私があなたが適任だと推薦したのよね。

M.Bush:そしてみんなが僕にその任務を頼んできたのだけれど、気づいたときにはもう人々は帰っていて、結局僕はマイケルを棺に入れるのも手伝ったんだ。僕にとっては、マイケルのような親友のために行えたことだと思っているよ。

(Dennis Tompkinsがマイケルの棺の上に乗せられた王冠を作った。)


Cynthia:カレン、マイケルと初めて会ったときのことを話してくれますか?

Karen:私はマイケルと1982年の夏に会いました。
(マイケルのThrillerのアルバムジャケットの撮影のとき)

Karen:私は当時はマイケルよりも、マイケルと写真に一緒にうつっていたトラに夢中でした。マイケルはそんな私の態度をおもしろく感じたようです。

Cynthia:噂によると、あなたはその初対面の日にマイケルに下着をチラ見せしたそうですね?

Karen:ああ、恥ずかしいわ!そうね。。。私はその日は虎の柄の下着をはいていたので、ジーンズをちょっとめくってそれをマイケルに見せたの。マイケルはすぐに顔をおおって恥ずかしそうにしたけれど、その印象が残って、次の仕事も雇ってもらえたのだと思ってるわ。

Cynthia:本当にそう思う?

Karen:ええ、そう思うわ。

Cynthia:マイケルはユーモアのセンスがある人が好きだったのよね。

Karen:ええ、それは本当よ。

Cynthia:マイケルの衣装のスタイルのテーマを総合して言うとなんて表現しますか?

Dennis:平和主義者が戦争に現れてしまったとき、っていう感じかな。


Cynthia:世の中はマイケルは薬物中毒だと思っているけれど、実際のところはどうなんでしょう?有名なエピソードは1984年に撮影されたPepsiのコマーシャル撮影現場でマイケルの髪の毛に火が燃えうつったときですよね。それ以降、マイケルは鎮痛剤を飲むようになった、と。

Karen:それは真実ではありません。最初にマイケルが鎮痛剤を飲むようになったのは、1993年のDangerousツアーの頃です。ツアーが始まる直前にマイケルは頭皮の手術を受けました。ところが、それが完治する前にツアーが始まってしまったの。私達はバンコックに向かいました。ツアーを中止することは出来なかったから、マイケルは鎮痛剤を飲むようになったの。

Cynthia:そのときあなたはそのことを知っていましたか?

Karen:いえ、当時は知りませんでした。みんな知らなかったわ。

(そしてマイケルは13歳の男の子を虐待したという容疑をかけられる)

Karen:マイケルは肉体的な痛みのうえに、精神的な痛みも課されることになってしまったの。

M.Bush:そのニュースが報道された日、マイケルは8万人の観客の前でステージに立っていました。

Karen:マイケルはメディアに幼児虐待者だと言われ続けても、ステージに立っていたのです。そして、堂々としていなければいけなかったのです。だから、鎮痛剤はマイケルがその時期を乗り越えるのに必要なものだったの。

(マイケルは不眠症に陥ってしまった)

Karen:コンサートの後のマイケルのアドレナリンのレベルはものすごく高くて、マイケルは眠ることが出来なかったのです。ときには丸2日も眠れないときもありました。1つのコンサートの後のアドレナリンが落ち着くまでに。

(その10年後、マイケルは再び幼児虐待容疑をかけられることになった)

M.Bush:ベッドと聞くと、人々は性的なことを思い浮かべるけれど、スタッフ達は、ツアーの後は録画したライブ映像などをみるために、15人くらいで一つのベッドに飛び乗ってマイケルがみせてくれる映像を観たりしたものです。

Cynthia:あなた達は25年間のマイケルとの付き合いのなかで、マイケルが幼児虐待容疑をかけられてもおかしくないような言動を目にしたことはないということですか?

Karen/M.Bush/Dennis:もちろん、ないです。

Karen:もしマイケルにそのようなことがあったのならば、私が見落としていたはずがないわ。

(裁判の頃、この3人は毎日マイケルをサポートしていた)

Karen:毎日同じ流れだったわ。毎朝3時に起きて、マイケルのところにいき、私はマイケルに腕をまわし、マイケルは私の肩に頭をのせ、泣いていました。そして私達は一緒に神にむかって祈っていました。人々に真実をわかってもらえるように。そのあと、私達は涙をふき、私はマイケルの髪を洗っていました。

Cynthia:カレン、あなたはマイケルが裁判で有罪になると思いましたか?

Karen:わからなかったわ。もうひどい事態になっていたのだから。マイケルは毎朝、あのひどい人ごみのなか、レッドカーペットを歩くように裁判所に入っていかなければならなかったのよ。

(マイケルは裁判所に向かうとき、友人デザイナーから毎朝6時に届く新しい洋服を着ていった)

M.Bush:マイケルが着替え終わると、僕達は、「I Love You」と言うと、マイケルは、「I love you more」と返してくれていたよ。

Cynthia:では、他のゴシップについても聞いてみたいのですが。。。マイケルはゲイだったのでしょうか?

Karen:もちろん違います。マイケルはFishing(釣り)と言ってましたが、あたりを見回して、魅力的な女の子達を探していたわ。

Cynthia:あなたはそれが演技だとは思わなかったのですか?

Karen:もちろん思わないわ。

Cynthia:ひょっとしてマイケルは恋愛自体に興味がなかったのでしょうか?

Karen:そうは思わないわ。マイケルのまわりにはいい恋愛の例がなかったのでしょうね。だから、どのように普通の恋愛をすればよいか、きっとわからなかったのでしょう。

Dennis:僕が思うに、マイケルの本当の恋人は彼の作品や音楽だったのだと思うよ。

Cynthia:マイケルは中性的なイメージを重要視しましたね。

Karen:マイケルは男性と女性の境界線は必要ないと思ったのよ。アーティスト的な面ではね。男性だからこう、女性だからこうするべき、という考えはなかったは。だからといって、彼がゲイだったかというと、それは違うわ。彼は美しいもの、完璧なものが好きだった。


明日はこの続編です。

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